第31回 合併20周年
新年あけましておめでとうございます。冬至から一か月経ち、少しずつ昼間の時間が長くなっていくのが感じられます。春が確実に近づいているのが感じられ、うれしくなります。ところで、去年は窓のカーテンにびっしり張り付いていたカメムシが今年は全くいません。どうしたことでしょうか。今年は、カメムシの被害を受けずに済むということならいいのですが・・・。
今年は、周辺7町村との合併20周年となるそうです。あの誇りと誇りがぶつかり合った合併協議を思い出すとぞっとしますが、同時に、私の合併を進める原動力はどこから出てきたのかと考えてしまいます。今振り返って考えてみると、合併を遂行することが、私にとっては人生の中での運命だったように思います。
平成5年4月に自治省の振興課長になりましたが、その時待ち受けていたのが、合併特例法の改正でした。当時は、合併のことなどまったく知らない人間でした。振興課長になり、特例法の改正をさせられることになったのは、運命としか思えません。その後、島根県の合併担当部局に呼ばれて、市町村長や県議会議員を対象に合併推進の話をしました。その私が、数年後、松江市長になり、待ち受けていたのが、合併でした。そうした人生の仕掛けに、はまってしまった私ですから、逃げるわけにはいきません。がむしゃらに突っ走りました。もし、そうした合併との出会いがなく、島根県に出かけて大きな口をたたいていなかったら、合併協議もいい加減なところで妥協したり、投げ出していたかもしれません。合併推進が、私の人生の大きな仕事として運命づけられていたとしか思えません。周りの人は、どうしてそこまでやるのかと不思議に思われたかもしれません。
合併の目的や効果は、一般論としては、人々の日常生活圏に合わせるとか最大の行財政改革であり力をつけるといったことが言われますが、具体の合併を納得してもらうためにはそれでは通用しません。合併したらどういうことになるのか、合併しなかった場合と比較してどんないいことがあるのか、その姿を具体的に求められるのですが、合併後どんな姿になるのかを描くことは困難です。
最近新聞で平成の合併は何をもたらしたかといった特集が組まれました。その中で力説されていたのは、合併によって周辺部に目が行き届かなくなり、寂れが加速したということでした。合併の陰の部分だというわけです。果たしてそう言いきれるものでしょうか。だから合併しない方が良かったということなのでしょうか。私はそうは思いません。行政の目が行き届くのにも限界があります。やはり、地域の自主的な取り組みがなければ、地域の維持は難しいのです。しかし、地域の少子高齢化は地域のそうした取り組む力を徐々に奪っています。そして、コロナによる分断は、コロナが終息した後でも若い人を中心にしてそれが常態化しつつあります。
こうした状況を打開するにはどうしたらいいのでしょうか。私は、今の自治会がボランティア組織、無報酬の組織であることが問題の根源だと思います。条例でその存在根拠や活動内容を明確にし、少なくとも自治会長は市長の任命制とし、相応の報酬を支払うとともに責任も持ってもらうといった仕組みを考えていくべきだと思います。今の制度設計は、人口が増える時代、つまり社会が若くて活力のある時代のものですから、今日の少子高齢化の時代にはこれに対応した制度設計があって然るべきだと思います。
新聞も当時の合併関係者の決断が間違っていたと言いたいわけではないと思います。しかし、現実がこうなっていると指摘するだけでは足らないと思います。現在の関係者が望んでいることは、どうしたらいいかのヒントだと思います。新聞には、毎日のように地域の色々な取り組みについての情報が掲載されています。こうした情報をデータ化し、AIなどを使って分析し、地域活性化のヒントを示してほしいと思います。