第30回 松江市民余芸大会
今年も残り少なくなってきました。畑では、小豆と里芋の収穫を終え、これで大きな作業は終わりました。ホウレンソウ、小松菜、キャベツ、カブ、春菊、ニンジン、タマネギ、ニンニク、エンドウ、ソラマメが順調に育っています。
12月14日に松江市民余芸大会が行われました。市長を辞めてからは、挨拶だけですが、現職の時は、毎回出場しました。最初は「もしもピアノが弾けたなら」を選曲したこともあって、ピアノ伴奏で歌うことにし、このスタイルは最後まで変えませんでした。ピアノはプラバ少年少女合唱隊のピアニストの代香織さんにお願いしました。代さんはピアノの技術はもちろんのこと、人間的にも素晴らしい方でした。決して出しゃばることはなく、そうかといって、こちらが困っているときは、積極的にアドバイスをしていただきました。
30曲以上歌いましたが、すべて歌詞を暗記しなければいけません。本番で頭が真っ白になっても大丈夫なように、代さんにピアノの伴奏をCDに入れてもらって、夜ウオーキングをしながら覚えました。その中で一番苦労したのは「涙そうそう」でした。歌うだけならいいのですが、沖縄の三線を弾きながら歌うことを代さんから提案されたのでした。できないというのも情けない限りだと思い、ついやりましょうと返事しました。ところが、三線などこれまで触ったことがないので、これを覚えることも大変でしたが、それだけでは駄目でした。三線は弦を見て弾いては駄目で、まっすぐ正面を見て弾かなくてはいけなかったのです。家で猛練習しました。途中で弦が切れて二度も張り替えました。今から考えると、よくできたものだと身震いがします。
「冬のソナタ」を歌ったときは、観客の驚きを誘うために、会場の後ろから歌いながら登場することにしました。しかし、あの時ほど怖いと思ったことはありませんでした。会場はステージに向かって緩やかに傾斜しているだけでなく、段差があるのです。しかも、顔にライトが当たるものですから、足元は真っ暗なのです。そういう状態で、足元を見ないで顔を上げながら歌わなければいけません。恐る恐る歩いていることが声に出てはいけません。ステージにどうにかたどり着いたときはほっとしました。
「ふれあい」は好きな歌でしたので、あまり練習に苦労することはありませんでした。ところが本番でのどを詰まらせてしまいました。「悲しみに出会うたび あの人を思い出す そんな時そばにいて 肩を抱いてほしいと」数年前に亡くなった妻とのことが重なり合ってしまったのです。
練習は、プラバの2階の会議室を借りて、3回程度行いました。この会議室はあまり声が響かないような構造になっていましたので、歌っていても何か心もとない感じがしましたが、逆に、本番の会場は声がよく響きましたので、何か上手くなったような気がして、堂々と歌うことができました。
余芸大会は先々代の田部長右衛門さん達が、戦後すぐ、歳末助けあいの資金を募るため始められたと聞いています。2000年に私が初参加したときも、当時の澄田知事や県会議員、市会議員などが余芸を披露しておられました。特に、澄田知事が水戸黄門に扮して、寸劇を披露しながら歌っておられた姿が印象的です。今年で76回を数えますが、こうした先人たちのおかげで、今日まで引き継がれてきているということに感謝するとともに、次の世代に引き継いでいくことが私たちの義務だと思っています。