第21回 若者の流出

2024.03.20コラム

 今日は春分の日、暑さ寒さも彼岸まで。秋分の日と違い、これからはどんどんいい季節に向かっていきますので、気持ちが明るくなります。私はこの時期が一番好きです。先日は、ジャガイモを植えました。今年の農作業のスタートです。

 3月は別れの季節でもあります。私も、昭和41年3月、親元を離れ、上京しました。ただし、東京の予備校を目指しての上京でしたので、不安ばかりを抱いての重苦しい旅立ちでした。私はいずれ家を継がなければいけないという漠然とした自覚はありましたが、あの時は、自分の人生を切り開くため、まずは目標とした大学に受かることだけが頭にありました。そこに大きな矛盾があることなど考えてもみませんでした。大学を卒業し、自治省に入った時も、故郷に帰るには少し有利かといった考えでした。

 結婚して、子どもができましたが、彼らと私のふるさととの関係は、盆や正月に帰省する程度で、家になつくということはありませんでした。むしろ、妻の実家の方に親しみを感じているようでした。

 一度しかない人生です。悔いのない生き方をしたいと思い、東京の大学に入学し、国の役所に入りました。しかし、子どもたちは、私の故郷で生まれ育ったわけではありませんので、私の故郷に対する愛着はありません。まして、私の跡を継いで家を守ることなど思いもよらないことです。私が大学卒業後、地元に帰って就職し、子どもたちも、ここで生まれ、育てば、あるいは、私のふるさとへの愛着を持ってくれたかもしれません。結局、私の悔いのない生き方をしたいというわがままが、家を継ぐということを繋げることができなくしてしまったことになります。今、一人での生活になってみたとき、それは自分のわがままから生じたことなのだから、自業自得だと諦めるしかないのかなと思います。仮に、子どもが跡を継いだとしても、その後が続くという保証はありません。むしろ可能性は低いと言わざるを得ません。そうであればここらで幕を引いても、ご先祖様たちも許してくれるのではないかと勝手に納得したりしています。

 地方の人口流出の背景には、私のケースと似たり寄ったりのことがあるのではないかと思います。「ふるさと」という唱歌があります。その背景の趣旨はふるさとの自然や親、友人たちへの愛着ですが、3番の歌詞に「志を果たして、いつの日にか帰らん」という箇所があります。これは、立身出世を果たして、故郷に錦を飾る夢を語ったものです。しかし、そのあとはどうなるかは言っていません。故郷に帰って、永住するのか、再び家族の住む東京に帰るのか。たぶん、後者ではないでしょうか。そうなると、故郷の家はどうなるのでしょうか。親は悲しまないのでしょうか。当時から、立身出世と家を継ぐということとは矛盾することが分かっていたのではないでしょうか。立身出世に価値があるとみていたのでしょう。富国強兵のため人材を広く東京に集めることが是とされ、そのために使われたのが立身出世という価値観でした。私もその価値観がいいと考え人生を歩んできました。

 立身出世をもう一段深掘りすれば、それは幸福感ということができます。立身出世は幸福感を得る一つの手段ということになります。現在、若者が東京を目指すのは、立身出世もありますが、やはり、東京は幸福感を得る手段が他の地域よりたくさんあると考えているからではないかと思います。「生き馬の目を抜く」という表現がありますが、東京には多くの人との競争を通して自分の才能を発揮できる機会がたくさんあるということでもあると思います。

 松江でも、東京の下請けではない、ナンバーワン、オンリーワンを見つける、作り出す努力をすることが求められているのではないでしょうか。

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