第6回 北惣門橋の架け替え
師走に入り、一段と寒さが身に染みるようになりました。朝起き上がるのがつらいです。今月初め2週間ほど干した大根を漬けました。10年以上前からやっていますが、なかなか満足できる沢庵(たくあん)にはなりません。市販の味に慣れてしまったせいかもしれません。先日様子を見ましたが、順調に水分が上がっていました。あとひと月で食べられるようになりますが、今年こそはおいしい沢庵になることを祈っています。
北惣門橋が新しく立派に完成しました。この橋はもともと木橋だったものを、明治に入り石造りの橋としたものですが、30年ほど前に元の木橋の資料を基に木橋に復元されました。しかし、車の通行を可能としたために老朽化が激しく危険な状態になったことから今回改修することになったものです。松江城が国宝になった時、観光客から「お城の中を車が通るなんておかしい」という意見をいただいていました。江戸時代にタイムスリップしてお城を散策して楽しんでいる、その横を車が通り抜ける現実に直面すると、興ざめして「松江の人たちは文化財に無関心だ」と思われても仕方ありません。また、私自身も「木橋なのに車を通すなんて、しかもお城から橋を渡るとすぐに行き止まり、T字路。30年前にこの橋を復元した時の関係者はどう考えていたのだろうか」とも考えていました。そういうわけで常々この橋の車の通行を禁止したいと思っていました。今回、車の通行を原則禁止することとなったそうでうれしく思います。
一方で、松江城側からこの橋を渡ると歴史館に突き当たります。歴史館は松江城の知識を事前に得るところ、あるいは、お城を見た後でその歴史をより深く知るところと位置付けて建設されたものです。しかし、松江城登閣者は国宝ブームが一段落した今日でもコロナ前で年間40万人前後なのに対し、歴史館の入場者は20万人を下回っています(令和元年)。そのうち展示観覧者は6万人前後となっています。つまり、お城に登った人の半数以上の人が歴史館を素通りしている、そして登閣者の2割以下しか歴史館の展示室に入っていないということになります。
この原因はいろいろあると思いますが、原因の一つに、お城に登った人を歴史館に誘導するルートが分かりにくい(お城に登る人は大手前から階段を上っていきますが、帰りも同じコースを通って帰っていきます)ことがあげられます。せっかく橋が新しくなったのですから二の丸から緊急車両道路~馬洗い池~北惣門橋への道路~北惣門橋~歴史館、あるいは、天守裏~北門~馬洗い池~北惣門橋への道路~北惣門橋~歴史館などのコースとそれぞれの地点にまつわる歴史を記したパンフレットを作り、お客様に差し上げるといったことをしたらどうかと思います。そういえば、お城全体の見所や散策ルートを示したパンフレットにお目にかかったことがありません。また後日このメルマガでも述べたいと思っていますが、お城の門や櫓、奥座敷、米蔵などは残っていません。これをVR(松江城天守のVRは歴史館にあります)で再現できるようにしたら松江城は天守だけでなくもっと楽しめるのではないかと思っています。そうすれば散策コースと歴史館が、楽しみながらつながるのではないかと思います。
今年はコロナに明けコロナに暮れる一年になりそうです。来年こそは終結宣言が出ることを願います。また、ロシアのというよりは独裁者プーチンの残虐性に心が震えた一年でした。その人がウクライナをネオナチと決めつけ侵略する。19世紀、20世紀の時代に逆戻りしたようです。独裁者がどうして誕生するのか、これは人類の古い歴史の最後の燃えカスなのか。決してこれがこれからの時代の先駆けとならないことを切に祈ります。
新しい年が新たな正義が実現される年になりますように!