第4回 氏神様のお祭り

2022.10.19コラム

 暗がりの道を歩いていると、懐かしい、上品な香りが漂ってきました。キンモクセイです。どこからともなく香ってくるというのがいいです。9月末から10月初めにかけてのことでしたが、一週間と経たずに香らなくなっていました。

 秋になって栗や柿が実りました。今年は、味柿は豊作でしたが、西条柿は裏年でした。同じ柿でも違いがあるのですね。

 10月9日は私が住んでいる別所(べっしょ)地区の氏神様を祭る高林(たかばやし)神社の秋祭りでした。玉湯町内の秋祭りの日は昔から決まっていて、別所地区は9日です。私が小学生のころは秋祭りがある地区では、子どもはその日は学校を半日で帰っていいことになっていましたので、秋祭りは本当に楽しみでした。学校から帰るとこづかいをもらい神社に駆け付けました。別所地区には普段、店はありませんが、祭りの時だけ神社の下に店が一軒出店しました。そこで菓子や飲み物、あてもんなどを買うのが楽しみでした。

 高林神社は延喜式(えんぎしき)にも登場する歴史のある神社といわれていますが、明治40年代に林村(はやしむら)に数か所あった神社を統合する話が持ち上がり、高林神社を除き布宇(ふう)神社に統合されました。管理費用がまかなえないことが最大の理由でした。現在でも100戸以上の集落でないと神社を維持するのは困難だということです(別所は40戸弱)。高林神社周辺では毎年たくさんのマツタケが採取され、その売却収益があったことから統合しなかったと聞いています。

 氏神様は地域を維持し統合する有力な手段として機能してきましたが、存在すれば機能するわけではなく、長い年月をかけて地域の人々が知恵を働かせて守ってきたからこそ統合の象徴として機能してきたのだと思います。春夏秋冬行われるお祭りなどのイベント、先ほど述べた小学校の半ドン(いまではとても考えられないと思いますが、思い切ったことをやっていたものです)など。私たちが子どもの時代は、子どもの数が多かったせいもあったと思いますが、夏休みに子どもだけで神社の掃除をさせられました。今でもそれを覚えていますが、子どものころから神社への愛着を植え付けることとなったものと思います。また、神社の幟(のぼり)を作り、それを受け取った家は神社にお参りをし、次の家に渡すということも行われています。

 しかし、マツタケも採れなくなり、子どもの数も激減しました。収入もなくなり、子どもを対象としたイベントもできません。神社の維持、地域の維持が今危機に瀕しています。

 知恵を働かせなければいけません。ポイントは子どもをターゲットにして、いかにこの地域が魅力的なところかを知ってもらうことが肝心です。そのためには、大人がこの地域の魅力や歴史をもっと勉強することが大事です。ありがたいことに、私たちの一世代前の人たちがこの地域の歴史や地理などをまとめて資料として残してくれています。とりあえず、それを紐解いてみることから始めてみたらと思います。

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