第12回 歴代の助役・副市長

2023.06.21コラム

 先月末、昨年よりも2週間近く早い梅雨入りとなりました。これからじめじめした天気が続くのかと憂鬱な気持ちになりましたが、意外にあまり雨が降りません。このような形の梅雨は、明けるときに豪雨になることが多いので、注意が必要です。
 ジャガイモがイノシシにやられました。今年は育ちもよく、期待していたのですが、一夜にして根こそぎやられました。しかも、まだこれから大きくなるという時期に。サツマイモはこれまでも被害にあった経験はありましたが、ジャガイモは今回が初めてです。動物の世界にも何か環境の変化でもあるのでしょうか。来年はどうしようかと思い悩んでいます。

 さて、先月末で、能海さんが副市長を退任されました。私が任命した助役・副市長は、国や県から出向された方々を除くと、4名おられます。伊藤忠志さん、小川正幸さん、能海広明さん、星野芳伸さんです。

 伊藤さんは最初の副市長(助役)でした。前任の宮岡市長が選任された助役の任期が切れるため、新たな人を選任しなければいけませんでした。私は市長になったばかりで、松江市政のことがよく分からないままでしたので、職員の中から選任したいと考えていましたが、誰が適任か全く分かりませんでした。そこで、県の総務部長を務めたことのある自治省の後輩に聞いてみたところ、伊藤さんは、能力はもちろん、裏表のない人なので、この人がいいのではという意見でしたので、早速、伊藤さんを選任しようとしたところ、教育長になってまだ8か月ということ。当時の制度では、教育長は他の教育委員同様、議会の同意を得て、市長が任命することとなっていました。つまり、助役と同様の手続きなのです。議会からすれば、短期間で同じ人を教育長と助役に選任同意をすることとなり、議会軽視と言われかねません。余人をもって代えがたいということで、やっと議会の同意を得ることができました。

 伊藤さんは、合併を挟んで8年間、つまり私の市政の前半期間、助役を務めていただきました。L・C.ティファニー美術館、オウム病、市町村合併、平成18年豪雨災害とどういうわけか大きな問題が前半期に集中しました。その間、私を矢面に立たせずに相手と交渉をし、成果は私に与えるということを基本姿勢とされていたように思います。
 特に、島根原発2号機のプルサーマル問題では、県とふらふらになるまで対決していただきました。これまで、県も鹿島町(原発立地町)も原発の変更は最初の申請の段階で同意をすればあとは国の承認を条件に着工を認めるというものでしたが、合併後原発立地市となった松江市は原発反対の意見も根強いことから、手続きを慎重に行う必要があると考え、申請時と国の承認時の2段階で同意を求めること(2段階方式)としました。ところが県はこれまでの手続きを変える必要はないという立場に立ち大反対。結局意見が分かれるまま、県も市も申請同意をし、禍根を残しましたが、その後知事となられた溝口さんが2段階方式を容認されたため、決着がつきました。
 伊藤さんの、周りが皆反対する中、最後まで考えを曲げられなかった強靭な意思に今でも敬意と感謝の念を抱いています。そして、任期が終わるときに自ら退任を申し出られた潔い引き際が印象に残っています。

 紙面が尽きましたので、小川さん以降の副市長については次号に譲らせていただきます。

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