第10回 人生の転機

2023.04.19コラム

 桜の時期が過ぎ、庭はツツジが真っ盛り。去年植え替えたばかりのフジは花芽が付いていません。ボタンはもう少しで開花しそうです。畑ではサヤエンドウが採れだし、ジャガイモの芽が出始めました。ソラマメに花が付いたのですが、丈が例年に比べ小さいのが気になります。玉ねぎはベト病になり、消毒をしました。タケノコは、今年は表年のようです。

 4月は、旅立ち、自立、すなわち転機の月です。私にとっては1966年(昭和41年)4月が転機の年、月となりました。この年の4月大学入試に失敗し、お茶の水にある駿台予備校に入学しました。同窓のS君、I君も一緒でした。思えばこれが親から離れて生活することとなった始まりでした。将来のことが全く見通せない不安な浪人生活と重なって、今から考えれば、よく持ちこたえたものだと思います。結局、勉強に打ち込み、予備校の試験の成績を唯一の頼りに生きるしかありませんでした。こうした私の精神状態をさらにかき回したのがI君でした。

 I君はご両親を亡くし、おじいさんのもとで育てられたそうです。勉強机もなく、リンゴ箱を机代わりに使っていたということでした。大変な苦労をした人で、親しい人が周りにはいないようでした。笑顔が少なく、いつも周りに怒りをぶつけているようなところがありました。成績もそれほど抜きんでているというわけではなく、むしろ目立たない方でした。その彼が、東大を受験したのでびっくりしました。

 駿台ではS君と励ましあいながら過ごしました。S君とは中学から一緒で、気心が通い合う間柄でしたので、砂をかむような浪人生活も何とか乗り越えることができたと思っています。また、彼から浪人時代や大学時代の友人を紹介してもらい、これが大きな財産になりました。

 一方、I君は駿台でもめったに会うことはなく、むしろ、自ら求めて孤立しているようでした。大学に入ってからも一度も会うことはありませんでした。唯一、駿台時代に模試が終わった際、彼が言った言葉を今でも覚えています。「(成績が)君に追いついた。追い抜くのは時間の問題だ。」心が不安定な浪人生にとって、この言葉は傷つきました。どうして一緒に頑張ろうという言葉が言えないのか。親元を離れてはるばる東京まで出てきているのに、同郷人なのに、どうして敵愾心を燃やさなければいけないのか。

 結局、3人とも無事合格しましたので、今となっては何のこだわりもありません。むしろ、I君は相手の気持ちを考える余裕がないままに、正直な気持ちを伝えただけだったのかもしれません。私にとっても、深く傷ついたことで、かえって、自立するきっかけになったかもしれません。苦労人のI君にとって私などは甘い人間と映っていたかもしれません。

 市長になって数年たったころ、女性の芸人が私を訪ねてきました。あとで、彼女はI君の娘だとわかりました。それを知っていたら、私のことを父親からどういうふうに聞いていたのか尋ねてみたかったです。また、I君は大学卒業後、弁護士となり、国家官僚の妹と結婚したと聞いていましたので、その取り合わせに興味を持ったことを覚えています。

 昭和41年という年はこのように、親離れや、甘ったれるなと厳しい叱咤激励されての自立の年、すなわち、人生の大きな旅立ち、転機の年となりました。苦労は買ってでもしろという言葉がありますが、1年間の浪人生活は本当にいい経験となりました。今年、浪人生活を送ることとなった皆さん、くじけず頑張って下さい。その経験は必ずやあなたの人生を豊かなものにしてくれるはずです。

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