第32回 中川博之さん~好きだから松江~
2月は一年中で最も寒さが厳しい時期です。体調を崩さないように気を付けましょう。
今回は、作曲家の中川博之さんについて書きます。中川さんといっても、今の若い人たちにはなじみのない方も多いのではないかと思いますが、昭和40年代から50年代にかけて一世を風靡したムード歌謡の第一人者です。「ラブユー東京」、「さそり座の女」、「たそがれの銀座」、「雨の銀座」、「夜の銀狐」、「わたし祈ってます」、「足手まとい」などヒット曲は枚挙にいとまがありません。その中川さんが晩年に「好きだから松江」という曲を作られ、伊吹友里さんという歌手を伴って、松江に来られました。そして、松江イングリッシュガーデンの屋内ステージでリサイタルが開かれました。
私はお目にかかるのはその時が初めてでしたが、お話をさせていただき、すぐに、大変腰の低い方だと気が付きました。話し方や態度に偉ぶったところが少しもありません。あんなすごい作曲家なのに・・・。同じ芸能界で同じような気持ちにさせてくれた人がいました。草刈正雄さんです。話をするとなぜか温かい気持ちにさせられました。お二人とも自分を自慢するところが少しもありません。お二人に共通するのは、幼少期の苦労だと思います。人を押しのけてでも目立たなければいけない芸能界で、それと真反対の性格で頭角を現すのは並大抵のことではなかったと思います。苦労の末に自然に身についた人を尊重する気持ち、温かいまなざしが、厳しい芸能界においても評価されたのでしょう。このことは、芸能界に限らず、すべての世界に通ずることなのかもしれません。
私は妻から「優しいけど冷たい」とよく言われました。一見矛盾する言い方ですが、「よその人(女性)には優しいが、自分には冷たい」という意味だと思っています。本質は冷たい人間だけれども、他人にはいい人間だと思われたいという打算が働いているのでしょう。中川さんや草刈さんは、身内も他人も尊重するという態度が自然に備わっているため、すべての人が安心し、尊重してくれるということなのかもしれません。競争社会の中で、北風を吹かして生きてきた私は何ともストレートな子供じみた生き方をしてきたものだと、今になってみると嘆かわしく思います。それにしても、厳しい意見を言ってくれる人がいなくなるということは悲しいものです。
中川さんについては、謝らなくてはいけないことがあります。リサイタルをし、私まで招いていただいたということは、何とかこの「好きだから松江」をヒットするよう応援してほしいということだったと思います。たとえば、松江の宣伝にもなるのでCDを市役所や県庁の職員に買ってもらうようお願いをしてほしいといったことです。しかし、そうした動きはしませんでした。この歌は本当にいい曲で、歌っていても気持ちがよくなります。それなのに動きませんでした。申し訳ありませんでした。
昨年の紅白で水森かおりさんが「鳥取砂丘」を歌いました。この歌は発売当初、鳥取県の片山知事の号令の下、職員がCDを買い、それがヒットにつながったと聞いています。島根県でも「島根恋旅」という歌が発売され、溝口知事と私が招かれ、水森さんにレッスンを受けたことを覚えていますが、CDを買う運動にはつながらず、あまりヒットしませんでした。
今年の秋には「ばけばけ」が始まり、松江を全国に発信するチャンスとなります。放送中は黙っていても松江の宣伝になりますが、問題は終わった後もその効果を持続させることです。いかに出演者などと松江とのつながりを保っていくかを考えることが大事だと思います。それには、市長だけに任せるのではなく、それぞれの職員がつながりを考えることだろうと思います。