第27回コラム パワハラの問題

2024.09.18コラム

 9月に入っても暑い日が続いています。里芋にしばらく水をやらなかったため、葉が枯れてしまいました。後から小さな葉が出ていますが、収穫はあまり期待できません。キャベツや白菜の苗は毎日水やりを欠かさなかったおかげで順調ですが、ニンジンは芽が出ないので、また種をまきました。水やりが欠かせませんが、ニンジンは芽が出れば9割がた成功と言いますから、それを楽しみにしています。大根も種をまきましたが、これはたぶんうまくいくと思います。10月には、かぶ、ニンニク、ホウレンソウなどをまく予定です。

 兵庫県の斎藤知事のパワハラ問題が連日報道されています。また、議会からは辞職要請がなされています。まさに四面楚歌といった状態です。しかし、職員の命が失われたことが大きな影を落としているとはいえ、まだ、事実関係がはっきり確定しない状況です。私は、もっと早くに辞職し、有権者の信を問うべきだったのではないかと思います。このままでは、事実関係が明確になる前に、知事の辞職か議会の解散ということになってしまい、うやむやな状態での結末を迎えることになってしまいます。パワハラの問題は、本人に自覚がない場合が多く、したがって、当事者間に認識のずれが生じやすいのです。また、パワハラという概念もそれほど古いものではなく、事実の積み上げが不足していることもあるかと思います。

 私が社会に出た50年ほど前には、組織の上下関係は絶対的なものがあり、それがあるから組織が保たれているという意識が強かったように思います。パワハラという言葉はなくても、そういった現象は当たり前のようにあったと思います。根性物が流行ったり、経験者である上司の言葉は絶対的なものであったりということが理屈抜きにまかり通っていました。パワハラは人権侵害に該当しますが、当時は人権侵害といえば、同和問題か障がい者差別で、広く人権侵害が存在するという意識はありませんでした。したがって、パワハラを受けてもそれを人権侵害とは意識せず、それどころか、自分を鍛えてもらっているといった気持ちで我慢していたように思います。そして、こうした意識は人権意識が高まった現在でも残っているように思います。

 パワハラのもう一つの問題は、行っている本人に自覚がないということです。私もかつて野中広務さんから「君は部下に対する言い方がきついと聞いているから気をつけたほうがいい」と言われたことがありました。私にはそうした意識は全くありませんでした。また、部下を鍛えてやっているという気持ちから行われ、部下は傷つくという状況が生まれてしまう場合もあります。無意識で行われるというところに問題の根の深さがあります。

 この問題は、ほっておくと組織の崩壊や職員のうつ病などを引き起こします。そういったことを引き起こす職員は真面目で責任感が強く、組織で仕事をするということを忘れがちになり、部下を誉めるのではなく、厳しく接しがちな人もいます。そのため、問題をおこしてしまうことが多いのです。パワハラに対しては、見過ごさないことを組織の中で徹底することが大事ではないかと思います。

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