第15回 歴代の助役・副市長(4)
暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年は、昼間の暑さがなかなか落ちません。秋らしい気候に早くなってほしいものです。今年の夏はあまりの暑さに野菜の世話ができませんでした。スイカやインゲンなどは途中で枯れてしまいました。来年の夏野菜づくり、どうしたら猛暑の中のこまめな作業ができるのか、いい知恵があれば教えてください。
今回は、4人目の副市長の星野芳伸さんについてです。星野さんは市立病院勤務が長かったのですが、自治省から出向していた助役が、「星野さんほど企業会計に精通している人は、市役所の中にはいない」といっていたのを覚えていましたので、どんな人だろうかと気になっていました。1つのことに精通するのはいいが、他のことには興味がなく、視野の狭い人だったらいけないがと思っていましたが、その予想は外れました。
星野さんは仕事に対して好き嫌いがない人で、与えられた仕事を喜んで受け、しかも、その仕事を徹底的に極めようと努力する人でした。また、仕事を前向きにとらえ、話していると、こちらもつい楽しくなるような雰囲気を持った方でした。そのため、いろいろな仕事をやらせてみたいと思わせる人でした。こうしたタイプの職員は、後にも先にも星野さん以外にはいませんでした。
私は、市長に就任した当時、環境問題、特にごみのリサイクルを手掛けようと考え、環境部に環境政策課を新設しました。それまで環境部はごみの収集・焼却といった仕事が大半を占めていた職場でしたが、「リサイクル都市日本一」のスローガンを掲げ、職員にとって、魅力のある、面白い職場にしたいと思っていました。環境政策課の新設はそれを目的としたものです。星野さんをその課長に任命しました。
星野さんは学校給食で大量の食べ残しが発生していることに着目し、忌部に残飯を焼却し、それから肥料を作る施設を建設しました。残飯から肥料を作り、農家がそれを使い野菜を栽培し、収穫した野菜を給食に使うというサイクルが出来上がったのです。この施設は地元の皆さんに運営してもらい、残飯の収集から肥料の販売まで行ってもらいましたが、経費がかかりすぎたため、数年で終わりました。今ならもっと民間の力を借りれば、うまくいったかもしれないと思いますが、私の力不足でした。いずれにせよ、こうしたアイディアを考え、実行に移すところに星野さんの魅力があるのです。
星野さんが政策部長の時、こんなことがありました。松江市は子育て支援を早くから手掛け、子育て実質日本一の評価をいただいたこともありました。しかし、支援策と少子化がかみ合わず、少子化を食い止めることができずにいました。子育てがしにくい実情をもっと把握すべきではないか、松江の実情に合った支援策を考えなければいけないと考えていました。
そんな時、星野さんが昼も夜も働く親の子どもを預かる認可外保育所への支援を提案してきました。保育士が基準を満たしていない、施設が基準を満たしていないといったことで認可されないものでした。しかし、こうした施設に認可をとるように求めるのは不可能に近いのです。いろいろな理由で昼も夜も働かざるを得ない親の割合は、松江市はおそらく全国的に見ても高いのではないかと思います。こうした施設は当然のことながら保育料は高くなります。赤字では施設の維持ができないからです。そこで、保育料の軽減に市の支援ができないかということです。
私が感心するのは、星野さんが、そうした施設を見つけ、何度も足を運んだという事実です。そして、全体のバランスの中で、これは支援すべきだと考え、私に提案してきたのです。市長が欲しいのは、実情を把握・理解し、政策として提案してくるような職員です。私はその時、星野さんを副市長にしてみたいと思いました。
当時副市長は、能海さんと県から出向している方の2人でした。県からの副市長は合併協議会の事務局長として公平な立場で調整できる人ということでお願いしたのが始まりでした。あれから15年近くたっていましたし、中核市にもなっていましたので、県のご了解もいただき、そのあとに星野さんを起用しました。
はじめて市職員出身の副市長が2人となったのですが、星野さんにはそのためいろいろご苦労をおかけしたのではないかと思います。私も、宮崎で助役2人体制を経験しましたが、ぎくしゃくしました。一応所管は決まっているのですが、職員は気を遣って所管外の助役にも話をするのです。しかし、そのことが、疑心暗鬼を産むのです。自分の所管の仕事にもう1人の助役は意見を言っているのではないか・・・。一方で、自分の所管外だからと何も言わないと2人制の良さが出てきません。やはり、適宜意見交換をすることが必要だと思います。そして調整したものを市長に挙げるようにしたらいいのではないかと思います。
4回にわたった歴代の助役・副市長を終わりますが、これまで、歴代の助役・副市長ともめたことはありませんでした。助役・副市長が所管の部課長と一緒に市長室に入ることが少なかったこともありますが、私は、私のところに上がってくる意見は助役・副市長も同意しているものだと思っていましたので、ほとんど反対はしませんでした。また、毎週、助役・副市長との意見交換・調整の場を設けるようにしていました。これにより、助役・副市長にもあらかじめ市長の考えていることを理解してもらえたのではないかと思います。歴代の助役・副市長には、陰に陽に、懸命に助けていただき、そのおかげで、市長職を全うすることができました。心から感謝しています。