第9回 桜の名所づくり

2023.03.15コラム

 3月に入り、いっぺんに春めいてきました。家の庭の彼岸桜や紅梅が満開です。エンドウやイチゴにも早くも花が付いています。今年は、例年より少し早いような気がします。長かった新型コロナも何とか収束に向かっているようで、気持ちも何年振りかで春めいていってほしいものです。畑は土起こしをしましたが、特にジャガイモを植える場所は、スコップで天地返しをしました。これが結構な作業で、大変でしたが、いい運動になりました。今年もたくさん収穫したいものです。

 春といえば桜です。私は京都で3年間勤務したことがありましたが、円山公園、琵琶湖疎水周辺、各寺院の桜はそれは見事で、春の京都の大事な観光資源となっていました。それに比べて、松江は桜があまり大事にされていないように思います。同じことは、秋の紅葉にも言えることですが・・・。公園、川岸、寺院、学校などで桜をあまり見かけません。城山など限られたところでは見かけますが、京都のように、まち一面が桜並木になっているのではありません。どうしてなのでしょうか。

 このことに関して、私は清原太兵衛の遺言を思い出します。清原太兵衛は佐陀川の開削を行いましたが、それに関し5つの遺言を残しました。そのうち、4つは実現していますが、ひとつだけ実現していないものがあります。それは、川の両岸に桜を植えることでした。太兵衛がこれを思いついたのは、おそらく、徳川吉宗時代に隅田川に堤防が築かれ、これを固めるために桜を植えたことが念頭にあったのではないかと思います。桜を植え、これを見物するために人出があれば、その人たちが堤を踏み固めてくれ、堤防の強化になるというわけです。太兵衛は、堤防に桜を植え、そこを桜の名所にし、人出によって堤防を踏み固めることにつなげようとしたのだと思います。しかし、現実には、桜は植えられず、太兵衛の狙いは実現しませんでした。江戸ではできたことが、なぜ松江ではできなかったのか、よくわかりませんが、松江藩が消極的だったからだと思います。

 太兵衛の遺言を何とか実現できないものだろうかと考え、平成18年の水害(越水)を防ぐため佐陀川の両岸の堤防が整備されたのを機に、その堤防に桜を植えることを提案し、国土交通省と地元に話に行きましたが、ダメでした。国交省の言い分は、堤防に桜を植えると桜の根が張り堤防を破壊するというのです。堤防の外側ならいいというので、それを地元に話したところ、葉っぱや虫が水田に落ちるから駄目だということでした。地元の心配は桜の苗を堤防の内側に植えれば解消します。したがって、国交省を説得できるかどうかということになります。全国には堤防の上あるいは内側に植えられた桜はたくさんあります。しかも、戦後すぐ植えられたものが多く、これらは植え替えの時期が来ています。しかし、この国交省の考えを貫けば、植え替えはできないことになり、桜の名所は激減することになります。この近くでは、玉湯川の桜、斐伊川堤防の桜などが該当することになります。この点を確かめたところ、確たる返答はありませんでした。本当に桜の木の根が堤防を破壊するのでしょうか、また、そのような事例が多発しているのでしょうか。そのようなことは聞いたことがありません。昔からの堤防は適用せず、新たに整備した堤防から適用するということでしょうか。それも理屈に合いません。水害防止と景観のバランスの問題だと思いますが、ぜひとも江戸時代の知恵を今の時代に生かしてほしいものです。

 一方で、桜の名所づくりといえば、旧町村部には八束町、島根町、玉湯町など昔からの名所があり、また、新たな名所づくり(八束町の千本桜、島根町の山桜の植栽)も進んでいますが、旧市内がもう一つです。緑山公園や白潟公園で整備が行われましたが、まだまだです。城山の桜の植え替えも、史跡を破壊してはいけないと文化庁はやかましいです。特に、学校周辺が少し寂しい気がします。私は、玉湯の桜並木の下を母親に手を引かれ入学式に臨んだことを懐かしく思い出します。ぜひとも各地域で桜の名所づくり運動を展開してほしいものです。

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