第1回 松江歴史館の建設(1)

2022.07.20コラム

 こんにちは、松江歴史館館長の松浦正敬です。

 今日から毎月第3水曜日に「お城の見える窓から」というタイトルで、私の思いつくままを掲載することとなりました。どうぞよろしくお願いいたします。とはいっても、松江の歴史や歴史館にかかわることに限定してしまうと途端にネタが尽きてしまいますので、内容は限定せずに、いわば松江歴史館に親しみを持っていただくきっかけになればいいと思っています。

 そうはいっても第1回目ですので、松江歴史館を建設するに至った経緯などから始めたいと思います。話は私が市長選に立候補した2000年6月にさかのぼります。選挙期間中に私は高校時代の恩師の藤岡大拙先生(前松江歴史館館長、現在は同名誉館長)が主宰されている「古文書を読む会」に呼ばれました。そこで松江市の文化財の劣悪な保管状況や展示環境について説明を受け、国際文化観光都市として恥ずかしい、これにふさわしい資料館を建設してほしいと強く要望されました。私は、市は箱モノづくりがメインの仕事だと認識されているのではないかと、その時はあまり乗り気ではありませんでした。市長当選後、再度要望をいただきましたので、現状を視察することにしました。当時の郷土資料館(興雲閣)の周辺に今にも雨漏りしそうな、火災にあえばいっぺんに焼失してしまいそうな倉庫が並んでいるのを見たとき、これはすぐに何とかしなければいけないと理解できました。

 就任直後の6月議会で歴史資料館の整備を表明し、10年以上にわたる事業がスタートしました。場所をどこにするかが最初の課題でした。田和山への病院移転の問題でもめたこともあり、市民に白紙で投げかけることも考えましたが、それでは意見が分かれ一か所に絞るのが難しくなると考え、文化財関係者の意見を伺う中で、当時売却の意向があった旧日銀支店長宿舎(旧家老屋敷跡地)周辺を候補地とし、議会で表明しました。場所についての異論は議会や市民の中からは出ませんでした。しかし、こうした決定に後から大きな反対運動が起きました。

 担当部局を、文化財を所管していた教育委員会とし、基本構想の策定やこれに続く基本計画の策定、そして用地買収へと進んでいきました。けれども用地買収がなかなか進みません。考えてみれば教育委員会に慣れない用地買収をしてもらうことが間違いでした。配慮が足りなかったと痛感しています。その後、担当部局を観光振興部に変えました。資料館が観光施設だからというのではなく、用地買収に慣れた職員がいるからという理由です。用地買収を早期に進めたかったのです。おかげで施設建設は円滑に進めることができました。しかし、このことが施設は観光施設(収益施設)だという誤解を与え、議会で追及されることとなったのです。

 次回はその後の経過について触れてみたいと思います。